自分と向き合う
生きるとは、何なんだろうか。
死を待つこと、お金を稼ぐこと、幸せになること。
色々な考えを今まで本や人から得てきたけど、
絶対的な答えはないと思う。
生きるとは、生きる意味とは目的とは、
きっと自分で決めるものなのだろうと、うすうす気づく。
これはある次元においては諦めで、
ある次元においては希望だと思う。
そもそも「なぜ、生きる。」という質問自体がすこし変だと思う。
なぜなら、「なぜ、生きる」は意味っていう物差しでは、測れないと思うから。
おもりの重さを定規で測るみたいな感じだと僕は捉えている。
つまり、考えこむだけ無駄ってことだ。
でも、この「なぜ、生きる」って思ってしまったときは、チャンスでもある。
さっき、書いた、「ある次元においては希望」というのは、
人間特有の自分で意味を見出せるということである。
著書「夜と霧 ドイツ強制収容所の体験記録 (みすず書房)」でこのようなことを書いている。
すなわち、人生から何をわれわれはまだ期待できるかが問題なのではなくて、むしろ人生が何をわれわれから期待しているかが問題なのである。
(p183 1行-3行目)
すなわち、われわれが人生の意味を問うのではなくて、われわれ自身が問われた者として体験されるのである。
(p183 4行-5行目)
これが、彼の「人生の意味」に対する答え方である。
「人生の意味」を求めても、見つけることは難しい。
なぜなら、一般論的な答えが出せる問いではないから。
だから、考えを転換して、「問う者」、ではなく
「問われる者」の立場になることで、人生の意味に答えることができる。
つまり、質問者ではなく、回答者として生きるということである。
回答者になった瞬間から自分と向き合い始める。
自分とは何者で、どこへ行くのかを自分で定義する。
これが人間本来の生き方だと僕は思う。
生きるとは常に答え続けることだと僕は思う。