大人になるって何。
こんちゃ、たけです。
子供のころから考えていたことがあるんよ。ずっと。
「大人って何?」って。
大人気(おとなげ)ないよって人に言う人いるけど、その人は大人を知っているんかなって思ったり。
なにかにつけて"大人"を使うことで、自分の言い表せない、もやもやしたいら立ちを押し付けたいだけじゃないかって思ったり。
大人って曖昧な言葉よな
大体、大人と子供の境界が曖昧だし、極端じゃねぇの?
20になって、
「・・・おや!? こどものようすが・・・!」
「おめでとう!こどもはおとなにしんかした!」
みたいにさ、進化するならまだわかるよ。姿形が変わるもん。
でもさ、誰にでも20って来るじゃん。生きてれば。で、誰でも大人って呼ばれる時期が一緒なわけよ。
ポケモンの世界ではさ、経験値積まないとレベル上がらないから進化しないし、戦う敵の強さによってもらえる経験値の量とか、レベルアップしたときに上がる○○力って異なるんよな。
20になるまでに戦った敵(?)の数とか質とか違うのに時間が来れば、はい進化。そしてそれまで以上を求められる。
なんだかな、それは少し違うんじゃないかと思うわけだよ。
人の数が増えすぎて、一定のルールを決めて「はい、ここからがみんな大人!」っていう方がとんでもなく効率がいいのは承知なんだけどさ。
一人一人、物事に対する考え方や成長の速度は違うわけで、んで、成長速度を数値化するのもまた無意味なことなんだよな、本来。
大人って何よ
たぶんな、大人だって大人って何かわかってねぇやつが多いんだよ。何歳になっても子供みたいなやつはいるし、子供の中でも子供っぽくない奴もいる。
個人的にはこの言葉は自分で定義する言葉だと思ってる。自分で意味をつくるってこと。
ただし、それは自分にしか当てはまらないことも忘れずにな。
一人一人にとっての大人がある。それを考えずにその場において強い人が言った"大人"が正義になる。そして、それが空気になる、この社会の病気だ。
そんなさ、誰かがいった"大人"にとらわれて生きるのが苦しくなるくらいならさ、捨てちまおうぜ。そんな大人に成りたくありませんって宣言しようぜ。
結局は自分次第
もうね、そうなんですよ。これは何というかわかりきっていることなんだけど実行することが難しいんよ。自分次第って。
大人になるって何かわかんなかったら、自分で定義してやったらいいんよ。それでok。
他の人に「お前は子供っぽいな」とか「もっと大人になれよ」なんて言われても全然気にする必要ないんよ。
自分の大人に自分が当てはまっていれば、全部OK。
それくらい開き直っていいんだよね。それをしないで病んで病院に行くくらいだったら開き直った方が何億倍もマシだと思うんだよ。
俺にとっての大人
一応、自分の考えた大人像をここに書いておこうと思う。
大人になるとは、「分かり合う努力ができるようになる」ということ。
これは、マジでそう思う。
極論かもしんないけど、人と人って基本的に分かり合えないと思うんだ。どんなに共感できたってそれは表面上でしかない。
もっと奥深くまで分かり合うにはさ、痛みを知ること、つまりその人と同じ状況に立つことが一番の手だ。
俺の好きなアニメに「ナルト」っていうのがある。それに出てくる長門っていうキャラクターが言うセリフにこんなのがある。
少しは痛みを理解できたか?
同じ痛みを知らなければ他人を本当には理解できない
そして理解をしたところで分かり合えるわけでもない
…それが道理だ―長門(ペイン)
同じ痛みをもっている人なんかほとんどいないから、生活してても多分ほぼ出会えない。
だからさ、わからないから、理解できないからって思考停止して苦しみの中にいる人を見て見ぬふりすることが正しいなんて思わない。
分かり合えないとわかっていながら、それでも分かり合うとする、寄り添う気持ちを持つことが大人になるってことなんだと思う。
大人になるってすごくムズイことなのかもしれん。無理ゲーなのかもしれんよ。
それでさ、大人って結果じゃなくて過程だと思うときもあるんだな。人の気持ちに寄り添える時もそうでない時もある。寄り添えたからって大人になったっていうのもなんかな、うーん。何書いているのかわかんなくなってきた。
ぐるぐる頭の中で考えるのは俺の特技だなぁ。もう少しうまく言葉にしたいとは思っているけども。
結論、自分で考ること
自分で考えること。以上。これよ、基本的に物事は自分で考えることが大事なんよね。
俺はさ、自分で考えることを放棄してしまった時期があって後で苦しい思いをしてる。違和感しかない時間がずっと続くんだよな。
考えない時期が終わった後にさ、クソみたいに苦しみが襲ってくるんだよ。これは耐え難いよ、ほんとに。
自分で考えることってそんなに難しいことではないんだよな。実際。
でも考えない方が楽だって勘違いしちゃうんだよ。それに関しては共感できる。
まぁ、なんだ、終わり方がわかんなくなってしまったんで終わる。
そんじゃ、また。