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逃げたい、ただそれだけ

わからないからわかろうとしない、そしてわかりあえない

おはこんばんにちは、たけです。

 

前提として

僕は、基本的に人と人は分かり合えないと思っています。なぜなら一人一人の言葉に対する定義が違うからです。辞書では定義が統一されていますが、それ以上のものを言葉は含んでいると思います。というかみんながみんな辞書で言葉一つ一つを調べてそれを機械的に記憶しているとしたらこんなことを考える必要もないと思いますが。

 

「友情」という言葉を例に出してみましょう。僕は友情に対して、黄色のイメージがあり少し暖かく感じます。あなたはどうですか?黄色のイメージを持って温かさを感じたでしょうか。きっとそうではないと思います。

 

僕の友情の定義には「経験」が含まれていると考えます。いままで小中高と接する中で抱いた感情、その経験の中で「友情」という言葉が定義されています。

 

つまり経験が言葉の定義に影響してくるということです。例えば、友達との関係が希薄であったり、何か問題が起きていたとしたら、はたして「友情」という言葉に対して明るいイメージを持つのでしょうか。いくら辞書で定義されている意味を知ったところで文字自体が読めても、実感がわかないのではないでしょうか。

 

言葉の定義に経験が含まれるのというのはあながち間違いではないと思います。ここで一つ決定的なことを言いましょう。

 

"同じ環境で育って、同じ経験をした人はだれ一人としていない"

 

つまり、誰一人として言葉に対して同じ定義をしている人間がいないということ。悲しいかな、これは究極的には言葉の答え合わせができないということ。これが僕が人と人が分かり合えないと断定する根拠です。

 

分かり合えないと感じた経験

僕が大学一年の時、T君という友達がいました。T君はなんでも自分が正しいと思っていて、よく話がかみ合わなかったりして困っていました。そのうえ、人格否定的な言葉を投げかけたり、わかっていながら人を貶めることをしていました。ある日、僕が頼みごとを断ったことがきっかけでT君と喧嘩した時に話しあったのですがそこでとても悲しい経験をしました。

 

僕は喧嘩の原因を探して、どうすればよかったのかを話し合おうと試みましたが、T君はずっと自分がどれだけ怒っているかやどちらが悪いかを一方的に話してきました。僕はあんまり言い返せない性格で、っというのもどんな意見も立場が違えば正しいと考えるタイプなので口ごもっていると、僕がどれだけ悪くて社会でやっていけないだのふざけたことをぬかしてきたので、強引に話を終わらせました。

 

そのとき思ったのが、自分のことを正しいと思っている人とはどれだけ話してもまずもって話の論点がずれて、平行線のままなのです。

 

こちらは、喧嘩の原因を探り妥協点を見つけようとしているところ、相手は自分がどんな感情だったかや原因の一方的な押し付けをしてくるのです。T君とはそれで縁を切りましたが、なんというか複雑でした。

 

きっと僕も相手に何かをわからせようとしていて、それがわかってくれないから燃焼しきれていなかったんだと思います。

 

そこで感じたのは、自分のふがいなさ、相手の共感性のなさ。自己愛の高さ。

 

僕はT君のことをうらやましいと思っていました。T君みたいに責任をすべて相手に押し付けストレスを排除できたらどれだけ生きやすいことか。

 

ただ、彼のようになりたいと思った時点でなれないんだと思います。彼の気持ちを理解できないから、理解するための環境が僕にはなく彼の頭に定義されている言葉を知るための"経験"が僕には足りません。だから僕は彼を理解することを諦めました。それまでの人のことを理解できるという考えを捨てることにしました。そうしてないと攻め続けられ、擦り切れる一方なのです。だから仕方がないことなんだと思います。人と人は相手の言葉がわからないからわかろうとしない、そしてわかりあえないんです。