違和感を大事にする
おはこんばんにちは、たけです。
最近は気づくことがたくさんあります。
それは自分の今の現状に疑問を持ち、
一度立ち止まって見つめることで生まれました。
たとえば、学校に行くことの意味。
結論から言うと、学校は僕たちを日本の社会になじませるための洗脳の場だと思いました。
確かに小さいころから算数や社会、国語の勉強をすることは後々役立つだと思います。
しかし、「先生や大人、偉い人の言ったことは正しい」
「周りに合わせるように生きることがいいこと」
「体調が悪くても学校に頑張っていくことは偉いえらいこと」
「周りの子と同じようにできることがいいこと」
など、周りの大人から刷り込まれたことは本当に正しかったのかと疑問に思いました。
今一度、立ち止まって自問する。
あれは、洗脳だったんじゃないのか。
金子みすゞさんは言いました。
みんなちがってみんないい
道徳の授業ではこう教えるくせに、ちょっと違うと白い目で見られます。
これは、どういうことなんでしょうね。
右向け右の世の中は良いものなのでしょうか。
もちろん、上のようなことを言われてもうまくやっていける人もちゃんといます。
それも立派なことだと思います。
けど、自分はそうじゃないと感じていました。
躓いたから、考えました。
そして今、僕の考えることは
常識を疑う
これまで身に付けてきた常識を改めて疑って自分の頭で考えてみること。
これが僕自身の殻を破り、もっと開いた眼で世の中を見ることにつながるんじゃないかと思っています。
自分の中の違和感を大事にすることは自分を導ける一つの方法だと思います。
それでは、また。