ずっと人が嫌いだって思ってた
おはこんばんにちは、たけです。
僕はずっと、人が嫌いだって思ってた。
高校あたりから、他人と関わるのって嫌だなって感じていました。
人といるとなんか疲れるし、気を使わないといけないし、
気を使って優しくしてたら舐められて傷つけられるし。
人と関わってもいいことないなってずっと思っていました。
ある日こんなツイートを見ました。
人といると疲れるんじゃなくて、我慢すると疲れるだけ。人が嫌いだって結論を出すのはダメ。それはただ、我慢することが嫌いなだけ。愛想笑いが嫌いなだけ。我慢させやがってとか愚痴るのではなく、ただ、我慢をしなきゃいいだけ。言いたいことを言えばいいだけ。言えない場所からは離れればいいだけ。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) December 30, 2019
これを見て僕はハッとしました。
確かにその通りだなって気づきました。
そういえば、我慢してるなぁ。
今までの僕は、傷つけられるのが怖くて自分のことをあまり話さなかったし、
自分の周りからのイメージを勝手に想像してふるまってたし、
言いたいこともあんまり言えない状況でした。
完全に自分を出せずに我慢していました。
確かに、純粋な子供のころは何も考えずにいろんな人に話しかけてたし、
自分が思うことを良くも悪くもはっきり言ってた記憶があります。
もともとは人と関わることが苦ではなかったんです。
ただ、年を重ねるにつれて人の目を気にするようになって、
いつしか周りの目が怖くなって自分を出せなくなりました。
なるほど、そういうことだったんだ。
我慢する理由として、人に嫌われたくない、変な奴だって思われたくない、
が僕の中にあります。
でも結局のところ我慢していても、嫌われたり、変な奴だって言われることはあります。
結局一緒なんですよ、我慢してもしなくても。
要は自分が苦しいか(我慢するか)、そうじゃないか(我慢しないか)です。
自分じゃない誰かを演じるか、自分を演じるか。
後者の方が圧倒的に楽だし、偽りがなく清々しく感じますよね。
結論はいたって簡単だったんです、我慢しない!