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逃げたい、ただそれだけ

普通になりたいという病気

おはこんばんにちは、たけです。

 

世の中にある"普通"という感覚に少し恐怖を感じます。

 

"普通"ってそもそも何なんでしょうか。

 

ふ つう [0]普通

 
  名 ・形動  [文] ナリ
いつでもどこにでもあって、めずらしくない・こと(さま)。 日本に-の
ほかとくらべて特に変わらない・こと(さま)。 ごく-の家庭に育つ  -ならもう卒業している
特別ではなく一般的である・こと(さま)。  -高校
▽⇔ 特殊
引用 三省堂 大辞林 第三版

 

"普通"って極端

誰かが言った「それが普通」「普通はこうするでしょ」みたいな文言に限って、言われた側はその"普通"のハードルが高いと感じていると思います。

 

この世の中のほとんどが白黒つけがたく、グレーゾーンに位置すると解釈するならば普通という言葉はあまりにも白黒ついている言葉なんじゃないかなと。

 

"普通"という言葉は個々人が基準になる実は極めて使いづらい言葉なんじゃないかと思います。

 

例えば、世帯収入の平均値を"普通"と定めることは愚か以外に何者でもありません。極端に収入が多かったり、少なかったりするだけで値は変わりますし、分布図で「ここら辺に点が集中しているからこの部分を"普通"と定めよう」などとする場合にも必然的に普通からはみ出る人がいます。

 

つまり"普通"というのははっきりと白と黒に分けられる言葉であるがゆえに極端なのです。僕らは普通という言葉の意味を知っているから普通という言葉自体がグレーゾーンに位置していない言葉だと認識できない錯覚に陥るのです。

 

 "普通"って普通じゃない

とりあえず普通という言葉を僕の頭で言い換えるならば"国民性"に置き換えられると考えます。

 

こく みんせい [0]国民性

日本人は国民性を国民に押し付ける傾向があります。同調圧力の強い日本人は国民性を押し付けます。なぜ国民性を押し付けるのでしょうか?

 

国民性とはある国民にたいして見られる価値観、行動様式、気質に関しての特徴です。だから僕には、観察された特徴を受けて「自分たちはこういう特徴があるんだ!だから国民はそうであるべきなんだ。」みたいな変な話聞こえます。

 

例を上げるなら「国民はスポーツ好きなんだ、だからみんなスポーツを好きになるべきなんだ」というなんとも横暴なセリフのように聞こえます。

 

そして同調圧力の強いこの国ではこのセリフが蔓延し、さも国民性に乗っ取った生活をしなければいけないような空気にまみれています。

 

その結果、洗脳をうけて"普通になりたい"という病気にかかってしまうのです。

 

あなたの考えている普通は普通じゃない。普通っていう言葉を使うこと自体が普通じゃないんです。レトリックみたいなもんですかね。

 

"普通"という洗脳から解かれるとき

言葉って難しいですね。それとも僕が考えすぎなだけ?

 

普通というのは一見多くの人に当てはまる言葉のように思えるけどもそれは間違いだと思う。

 

大衆に向けて発する言葉としての"普通"は誰にも当てはまらない。まやかしのようなもの。

 

つまりは、"普通"はある程度の範囲を表す言葉であって言葉通りの意味をなさない言葉であると結論付ける(笑)

 

いわば使えない(チョー使いづらい)言葉の一つなんだと思う。

 

なんか最後らへん何言ってるか自分でわかんなくなってきたので終わる。

 

それでは、また。